人気ブログランキング | 話題のタグを見る
excitemusic

雑談各種。組長日記シリーズはフィクションで、実在する人物、団体等とは全く無関係です。
by ryuta_555
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
My favorite sites
【旧館:ライブドア】
http://blog.livedoor.jp/ryuta55555/

【旧館:Seesaa】
http://ryuta555.seesaa.net/
検索
その他のジャンル
最新の記事
組長日記446
at 2024-03-26 08:16
組長日記445
at 2024-03-25 07:33
組長日記444
at 2024-03-24 08:36
組長日記443
at 2024-03-23 13:51
組長日記442
at 2024-03-22 15:25
組長日記441
at 2024-03-22 15:22
組長日記440
at 2024-03-20 08:59
組長日記439
at 2024-03-20 08:38
組長日記438
at 2024-03-20 08:35
組長日記437
at 2024-03-19 08:37
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル


高橋尚子の子供時代

from

http://www.yomiuri.co.jp/running/kataru/20140723-OYT8T50022.html?cx_text=03&from=ytop_os_txt2


***

――高橋さんの子どもの頃のお話を聞かせてください。

 「小学校の頃は、走ることは好きでしたが、走ることを生活の中心には置いていませんでした。大会に出る機会もあまりありませんでした。中学校で陸上部に入ってからは、何とかして強くなりたいのにその方法が分からなくて悩むことが多かったです」

 ――陸上部に入ったきっかけは何でしたか?

 「すごく単純な理由です(笑)。バスケ部とどっちにしようか悩みながら陸上部に仮入部したんです。そこで、すごくびっくりしたことが三つあって、針金みたいな細いピンがついたスパイクを履いているのを見て『すごい! 刺さりそう』と思ったこと。二つ目は、スタートの仕方がスタンディングからクラウチングになって、スタートブロックを初めて見たこと。三つ目が最大のポイントなんですが、私と同じくらいの子が鉄砲のような『雷管』を使ってスタート練習をしていたんです。鉄砲なんて刑事ドラマでしか見たことがなかったので、『かっこいいなあ』と(笑)。新しいことがたくさんできそうだったので、入りたいと思いました」

 ――ただ、高橋さんは学生時代は決して目立つ選手ではありませんでした。どこかで陸上をあきらめようという気持ちになりませんでしたか?

 「それはなかったですね。やめたいと思ったことは。親は、やめろやめろと言っていました。『いつまで遊んでいるんだ』って言われていて、対抗心を燃やしたというか(笑)、結果を出して親に分かってもらおうと思っていました。こんなふうに一生懸命やることはすばらしいんだ、友達と力を合わせることはすばらしいんだ、それを分かってくれたらいいなという気持ちがすごくありました」

 <高橋尚子選手は大阪学院大学時代、1500メートルと3000メートルが専門のトラック選手で、決して目立つ選手ではなかったとされる。1995年、名伯楽と言われた小出義雄監督率いるリクルートに入部。1997年1月、初マラソンとなる大阪国際女子マラソンで7位(2時間31分32秒)。同年、小出監督とともに積水化学に移籍し、2度目のマラソンとなる1998年3月の名古屋国際女子マラソンで2時間25分48秒の日本最高記録(当時)で優勝した。>

 ――結果を出したいという気持ちより、ご両親への対抗心のほうが勝っていたということですか?

 「もちろん、もっと速くなりたいという気持ちはありましたが、それと同時に、両親に『続けることはこんなにすばらしいんだよ』と伝えたかったことも大きいと思います。結果が出ないならやめるというなら、とうの昔にやめていたと思います。結果というのも、どこでラインを引くかです。全国大会を考えたら全然結果は出せていないのですが、市や県のレベルで入賞することを目標にすると、それなりに夢を持てたんです。あまり高望みせず、かなえられる夢を身近にたくさん持っていたことが大きいと思います。大きな花は咲いていないけど、小さな花をたくさん咲かせては喜んでいた時代かな、あの時代は」

***
by ryuta_555 | 2014-08-15 11:48 | 風任せで好きに語る | Comments(0)
<< 運動量の確保 結婚式には >>