組長日記437 |
極道学園内にあるグループホームには老人が三人住んでいるのだがこの先、利用者が増えるのか減るのかよく分からない。四人目は俺かもしれない。(笑) 一般の利用者を増やす考えはない。介護職員が三人しかいないからだ。慶子が抜ければ二人。このような体制では決して規模を拡大できない。 一方、port99内にはまつえ知事の方針でたくさんの介護施設がある。利用にあたり、待ち時間ゼロである。申し込みすればその日から入居できる。port99内で介護職として働くと千葉県から手当が出るため収入面でとても魅力があるのだ。そのため、全国からたくさんの介護専門家が集まった。 port99内で20年介護職を全うした人は65歳から「社会福祉功労者年金」が生涯支給される。職場からの推薦により審査され、合格すれば年金受給できる。 保育園、幼稚園もたくさんある。人生を長い道のりにたとえるとport99は入口、出口が他に例を見ないほど恵まれているのだ。そのため人口が増え続けている。 この度、portリバーというのを銚子から長生村まで造成した。これは人工の川で、海岸沿いを流れており、市民を運ぶ水上バスのみが行き来している。この船は電気で動く。運賃はどこまで乗っても片道200円である。 ~・~・~・ フランス書院というのはアダルト系の本をたくさん出している会社だが年二回作品を募集しておりプロでも応募できる。試しに「安孫子妻の悲哀と狂気」という作品を送ったところ大賞と認定され賞金百万円を貰った。その全額を慶子に贈呈したら慶子はその百万円で大量の本を買い学園に寄付した。 「安孫子妻の悲哀と狂気」はフランス書院から文庫本として750円で出版された。そしたら150万部売れた。印税一割の契約だったので 112,500,000円 の臨時収入になった。俺はその半分をポン出版へ、残りをマン国際学院に寄付した。 マン国際学院はport99内に百ヶ所の教室を展開している。書道、俳句、英会話、ダンス、空手、少林寺拳法など。市民はきわめて低額でこれらの授業を受講できるのである。 学長はマンコロリン田中氏でもともとベトナム難民だった。宮崎県に木造の舟で漂着し、高校まで九州で過ごしたのである。その後東京の大学で社会学を学び、修士号を修得した。都内の大学で教授として活躍していたのだがポン社長からの招聘により学長に就任したのである。 彼の活躍によりマン国際学院は専門学校としては日本一の知名度になった。「私は日本人にとても感謝している。難民の私を救い、学校に入れてくれた」、これがマンコロリン学長の口癖である。 (つづく) |
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by ryuta_555
| 2024-03-19 08:37
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組長日記436 |
飲食業界というのは面白いもので青空食堂みたいに「もっと拡大して欲しいな」という店は堅実路線だし、いきなりステーキみたいに「あなたたち、かなり限界を超えてるよ」という店はさらに拡大を目指す。(笑) 柏の天龍会は新規に店を出したり儲けが少ない店を閉店したり、かなり忙しい動きが見られる。しかし現在のマネジメントはポン社長の会社が仕切っているため俺は心配していない。ポン社長がビジネスで失敗したのを見たことがない。まるで打率九割の強打者みたいだ。 サンチョウさんもまたしかりでport99の都市開発という大事業の主役として活躍しており、いまや総資産は十兆円を超えた。 ところでまつえ知事には十人の秘書がいるのだが全員、ポン社長の会社から派遣された、非常に有能な人々である。新卒で役所に入った人々とは違う、ビジネスセンスがある。 まつえ知事は彼らを巧みに動かして千葉県の「経営」を行っている。いまや人口三千万を超えたport99が千葉県の財務を潤す、一番の稼ぎ頭になっているのだ。 他県からしょっちゅう視察ツアーが開催されているが、まあ、ざっくり言うと他の自治体がport99の真似をするのは無理である。なぜなら、サンチョウさん、ポン社長、龍神組がいないからである。 サンチョウさんの資金力、ポン社長の経営力、龍神組の現場力、以上三つの要素が高度に融合しないと大きな事業は実施不可能である。何より大事なのは我々三人がすごく仲良し、ということだ。俺は今までサンチョウさん、ポン社長と一度も喧嘩したことがない。互いの立場を尊重しつつ紳士的な態度を貫いてきた。その結果、いまの繁栄がある。 ~・~・~・ いきなり知らない番号から電話があった。 「もしもし!」女だ。どこかで聞いた声だが音声を微妙に変えている感じがした。大学が開発した「いたずらPhone」ではないかと疑う。 「もしもーし」 「はい。」 「千葉県警ですが」 「え?」 「あなたを猥褻物陳列罪で逮捕します」 「....」 「あなたは非常にエロい。エロすぎます!死刑にします!」 「お前、慶子だろ?」 「あれ?バレちゃった?」 「(笑)」 田中工務店に四時集合よろしく、という連絡であった。俺は読んでいた書類を片付けて上野に向かった。 (つづく) |
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by ryuta_555
| 2024-03-18 08:10
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組長日記435 |
ベリー三兄弟というのは我々が果物専用の船を浮かべるため人員募集したところ応募してきた人たちである。 彼らは千葉県内に広大な農場を持ち果物や野菜を生産していたがサンチョウさんから土地の買い取りについて商談があり、かなりの好条件だったため土地の売却に同意したという。サンチョウさんの会社にはこのような交渉が巧みな社員がたくさんいるのである。そのためport99は地続きで急速に拡大した。 彼らが乗るのはストロベリー(いちご)、ブルーベリー、ブラックベリーなど、いわゆる「ベリー」でカテゴリー分けされている果物だけを栽培する船である。 五階建ての巨大な船で各階すべて果物栽培用の農地が展開されている。ここで作られた果物は一部がそのまま海上レストランに出荷され、残りはジャムや果実酒になる。俺はブルーベリー酒が大好きだ。コイケはいちごを用いてケーキを作る。 ベリー三兄弟は精力的に働き生産量を伸ばしていった。彼らは船内の部屋に住んでいて食事は自炊である。給料は完全歩合制で出荷量、品質により額が決定される。 ~・~・~・ 昨晩は慶子と青空食堂に行った。七輪で肉を焼きビールを飲む。 食堂のカウンターは八席だが満員だった。仕事帰りの会社員たちが楽しそうに酒を飲んでいる。青空食堂は三千円払えばたっぷり飲み食いできるので比較的若い人が多い。「あいつ、マジありえねーよな」などと会社の同僚に対する愚痴を言いつつ発散するのだ。 今は食堂の両隣りに龍神組の屋台があり、それらは俺たち組員専用カウンターなのだが、それを一つ譲れば青空食堂は十六席になり売上がさらに上がるわけである。 店主には「いつでも譲るよ」と言っているが店主は比較的慎重な人で「ありがとうございます。もう少し様子を見ます」と述べる。おそらく人手が足りなくなったり料理の提供時間が遅くなったりすることを心配しているのだろう。慶子は店主について「あの人はかなり優秀な経営者」と評価している。 (つづく) |
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by ryuta_555
| 2024-03-18 08:07
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組長日記434 |
今朝はルチ先生と海上レストランで食事した。早朝は比較的空いている。 俺はバター&トースト、目玉焼き、コーンスープ、牛乳。ルチ先生は珈琲、トースト、サラダ。トーストにジャムを付けて食べている。大学の様子などを詳しく聞く。生徒は真面目で反応がよく、講義はたいへん楽しいと述べていた。 先日、ルチさんは教授に昇格した。理事会二十人の投票で満票であった。ますますインドに帰れなくなりましたね?と冷やかしたらアハハと笑い、それは全く構いませんと真顔で言った。よほど日本を愛しているのだろう。 日本の何が好きなの?と聞いたら「日本というよりも、親分が好き」と答える。え?と驚いたら急に真面目な顔になり、「だいたいの日本人は謙虚だ」と述べていた。 自国の、やけに威張った、自信たっぷりで、実は中身に乏しいという人々にはすっかり失望してしまったらしい。インド人はプレゼンがたいへん巧みだが、信頼性に欠ける人々が多すぎると彼女はうんざりした顔で言った。 マネーが一番で、義が足りない、しかし、日本には義を大事にする人々がたくさんいるので好ましい、と。義を大切にしつつ、利を求める。義を欠いた企業はちゃんと淘汰される。これが日本経済界の魅力です。そのように彼女は言った。 昼前に亀太郎神社に行き、境内を散歩した。最近千葉は地震が多いため神社内の建物あちこちを点検する。幸い、どこも壊れていない。 もしこの木が倒れたらどうなる?とか、茶屋の耐震構造は万全か?などじっくりと検査する。 神社は地域の避難所に指定されているため住民の安全確保という面から言ってそれなりの責任がある。大木が倒れて避難民が大怪我、というようなことが起きたら大変だ。 茶屋には清が出勤していて、俺に極めて上等な日本茶を煎れてくれた。「親方、おはようございます。今日は良いお天気ですね」清がにっこり笑ってお茶を出し、俺の横に腰掛けた。 あの夢以来、清は他人と思えない。(笑) (つづく) |
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by ryuta_555
| 2024-03-18 07:48
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組長日記433 |
うちの組は夫婦の破局というのが珍しい。だいたいは円満だ。太田夫婦しかり、赤坂(新婚)、物井(結婚十年)。 もちろん各夫婦、我々幹部には知らされていない、いろんな話があるのだろう。しかし俺達は各自の生活の細部からは距離を置いている。もちろん相談があれば応じるが、こちらから動くことは稀である。 慶子はうちの組員との交流から距離を置いている。太田と会うのも稀である。 組員がやっている店に行けば彼女は「姐さん」と呼ばれ、店員がみな整列、最敬礼だ。それを喜ぶ女ではない。 そのため、青空食堂とか田中工務店のようにうちの組員が一人もいない空間を、彼女は非常に好むのである。 さて、 人生悔い無し、と言いたいが実は、ある。(笑) 子供嫌いの慶子が「あなたの子供なら、生んでもいいかな」と言ってくれたのは二十年前の秋。彼女は三十四歳だった。俺は正直、うれしかった。よし、子供を育てるか。 ところがその翌日、我々が非常に懇意にしている都内の早坂組にダンプカーが突っ込み、戦争が始まったのである。俺は三週間、風呂にも入らず組の事務所に寝泊まりして戦闘を指揮し、敵を壊滅させた。あのとき俺は四十三かな。女子と三回戦ぐらい可能であった。今は一回戦の途中で。。(笑) (つづく) |
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by ryuta_555
| 2024-03-17 08:53
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